尾崎裕哉
尾崎豊の息子、尾崎裕哉
今彼を観ている人を分類すると、
- 尾崎豊が生きていた頃に尾崎豊のファンだった人
- 尾崎豊が亡くなってから尾崎豊のファンになった人
- なんとなく尾崎豊の歌は好きな人
- 尾崎豊は知ってるよという人
- 尾崎豊って誰?という人
このような感じでしょうか。
常に父親である尾崎豊が付いて回ります。
ちなみに私は、尾崎豊は知ってるよ程度です。
特にファンでもなく、さらにはちゃんと歌える曲だって1曲も無い、そんな程度です。
ところが、彼の歌う姿を観ると何とも言えない感情を覚えます。
その原因は一体なんだろうと思っていましたが、今日なんとなくですが思うことがあったので書いてみます。
親の七光り・2世タレント
一部の人はこう言うでしょう。「親の七光り」だと。父親が尾崎豊だから今テレビの前で歌えているんだと。
もしかしたらそれは正解かもしれないし、そうではないかもしれない。
私の知るところではありません。
ただ現にこうしてテレビの前で歌い、観る人・聴く人に何らかの感情を与えているのは確かです。
それに彼は父親が尾崎豊であることを十分に誇りに思い、惜しげもなくそれを語っています。きっとそれが我々にも伝わり、それ故余計に何らかの感情を刺激してくるのだと思います。
何らかの感情への一歩
まだ数回しかテレビで彼を観ていませんが、どうやら私は先ほど挙げた5つのリストのうちの1番目「尾崎豊が生きていた頃に尾崎豊のファンだった人」のことを想い、彼を観ていることに気が付きます。
自分が大ファンだった尾崎豊を、尊敬し・憧れている息子尾崎裕哉として、しかも父親譲りの歌声と感性で現れる。
リアルタイムで尾崎豊のファンだった人にとってこれほどまでに幸せなことはないのではないでしょうか。
世間の声だけに耳を傾ければ「やっぱりどこか違う」「尾崎豊は好きだけど…」など、否定的な意見も聞こえてきます。
ただ、リアルタイムで尾崎豊のファンだった人にとっては、そんなことはどうでも良いのだと思います。
何らかの感情の正体
考えてみてください。
今大好きなアーティストがいるとします。
そして、そのアーティストが突然この世から消えてしまいます。
あなたは突然のことに嘆き・悲しみ、呆然とするでしょう。中には後を追う人もいるかもしれません。
それでも消えた後も自分の中ではナンバーワンのアーティスト、いつまでも色褪せないアーティストです。
もし生きていたら・もしまだ歌っていたらと思うこともあるでしょう。
通勤・通学途中、車の中、家でもどこでも何度も音源聞き、映像を観るでしょう。
そんな風に過ごしてきたあなたの前に、突然この世から消えたハズの大好きなアーティストの子供が同じように突然、でも今度は消えるのではなく現れるのです。
しかも面影をしっかり残して、しかも親を尊敬し憧れて。
こんな奇跡はないでしょう。
恐らく外野の声なんか一切耳に入らないくらいに応援し、その奇跡に感謝し、当時突然止まってしまった物語の続きを楽しむことでしょう。
尾崎豊ファンに聞いたわけではなく全ては私の想像です。
ただ、私はこんなことを無意識に思いながら尾崎裕哉を観ていたことに気付いたのです。
それがきっとこの何とも言えない感情の正体だったに違いありません。
彼の楽曲オススメです。
今回の一言:
尾崎裕哉…ゆうやじゃないよひろやだよ。